虹色の縄
私は真面目な人間だと思う。
ゴミは決められた日に出すし、赤信号で横断歩道はめったに渡らない。
待ち合わせの場所にも、最低でも10分前には着く、典型的な日本人だ。
しかし、しょっちゅう待ち合わせに遅れてくる人も世の中にはいる。
同じ友人から、いつも違う理由で何度も待たされたことがあったが、非常に不愉快だった。
私は真面目ではあるが、約束を忘れることはたまにはある。
故意ではないが結果的に破ったことになるので、友人の失敗を一方的に非難できる立場には無いと思って怒りは抑えている。
だが、破った時の罪悪感がいたたまれないので、私は約束を守る努力をしている。
そう、約束を守るには努力が必要なのだ。
だからこそ余計、守らない人に対して腹立たしさを覚えてしまうのだろう。
約束の束は拘束の束。
私たちはいつも見えない何かに束ねられ、縛られている。
この世の中、友人間でも仕事間でも、約束を破ると不都合なことが多い。
不都合と罪悪感の重しが、円滑な社会人としての活動に欠かせない要素となっているのかもしれない。
逆に考えると、この不都合のシステムが無ければ、みんな約束など守らないのではないか。
法律で『やってはいけない』というのは、やる人間が多いから。
『やるべし』というのは、そう言わなきゃやらない人間が多いから。
『人間は裸で空を飛んではいけない』という法律が無いのは、出来る人間がいないからだ。
テレビで、長年経営していた店が、業績不振のために間もなく閉店されるので、大勢の名残を惜しむ来客があった、というニュースをよく見る。
普段からこれほどの人数が訪れていれば、その店もつぶれることはないと思う。
だが、そんなきっかけでもなければ、みんなそこへ行きたいと思わなかったのだろう。
そそられる事柄や、突き動かされる衝動があれば、強制されなくても実行する。
子供時代、遠足の日や誕生日を忘れることはなかった。
大人になった今だって、美味しい物を食べに行く日や給料日を決して忘れたりしない。
私たちの毎日は、快と不快の縒りあわせだ。
自分以外の誰かの思惑や出来事が絡まりあい、人生はいつの間にか複雑になっていく。
約束を守らない人は、自分に正直に、まっすぐ生きているだけかもしれない。
ストレスを溜めすぎて病気になるよりは、デメリットも覚悟の上でのこの行動だと考えれば、腹立ちもいくぶん収まるか。
じゃあ、あの友人は、本当は私のことが嫌いで来たくなかった……?
約束だから仕方なく来たが、時間に遅れるということで、無意識に本音をアピールしていたということか……?
思考の糸が絡まりすぎると、こんな邪推もしてしまう。
-fin-
2010.01
『約束』をテーマに書いたエッセイです。