闇の香り
かゆい。網戸の隙間から蚊が入りこんだらしい。
親の部屋から持ってきた電子蚊取りは、役に立っていないようだ。
だから夏は嫌いだ。俺は灯りを点け、目を凝らして蚊の姿を追った。どこだ。
(ヴヴン……)いた! でかい!
(バチン!) ちからいっぱい叩いた両手が腫れ、そこに蚊の死骸がないことが、余計痛みを増幅させる。くそっ。
ベッドにあぐらをかいたまま三十分経った。まだ仕留められない。
羽音を拾うために耳を澄ませながら、彼女にメールしなくちゃいけないなと考えていた。
合コンで知り会って付き合いだしたけど、女があんなに面倒くさいものだなんて知らなかった。返信(レス)が一時間遅れたぐらいで文句を言うし、俺が少ないバイト代で頑張って奢ってやっても、礼も言わねーし。
そんな女が夏休みに入ってから、連絡をしてこなくなった。どうしたんだろ?
最後の電話で、俺が大学受験のために予備校に行くんで忙しくなるって言ったら、彼女も同じだって言った。連絡が途絶えたのはそれからだ。
だが俺はバイトをしたり、友達と遊ぶ時間もある。彼女どんなとこに通っているんだ? 俺のことは色々聞くくせに、自分のことは全然教えない。住んでいる所も行っている高校も、俺はわからない。
彼女のことを何も知らない。
あっかゆい。いつのまにかまた喰われた! ボリボリと音を立てて掻きむしると、ぷっくりといびつな円形に皮膚が膨れあがる。ムカつくなあ。
そういえばあの時の電話、彼女の後ろで子供の声がした。公園とかにいるのかと思っていたけど、あれは夜の十一時。
「ママ」と叫ぶあの声……もしかしてあいつ!?
いや、弟とか甥っ子かもしれないし、テレビの音だったかもしれない。
でも学生ではなかったんじゃないか。だから今まで適当に話を合わせていたけど、電話の時にばれたと思って、もう会わないつもりでいるのかもしれない。
うわー、そう考えたらそうとしか思えなくなってきた!
あ、いた!
バチン!
殺(や)った。俺の血を吸いまくったにもかかわらず、蚊の奴は叩き潰しても赤くならなかった。俺は電気を消し、ベッドへ潜りこんだ。
蚊取り液の匂いが鼻をくすぐる。
ずる賢い蚊(やつ)だった。
どこかで、血を吸う蚊は全て、卵を産む直前のメスだと聞いたことがある。わが子のために栄養価の高い血液を食事にするのだと。俺はただのエサかよ。
あ、そういえば、彼女から時々、おばあちゃんちのニオイがしたな。
歳だって本当は……。
うわー! すげー怖い!!
-fin-
2013.11
『夏の夜の 女の話 少し嘘』という俳句をテーマに書いたフィクションです。