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男心と梅雨の空

「すいません、私のこと、覚えていらっしゃいますか?」

俺の心の中のような、梅雨空の夕方。

徒歩で帰る途中、信号待ちをしていた俺に、右横に立った若い女が、傘越しに声をかけてきた。

二十代半ば。髪は肩まで。傘で頭が隠れているが、少し覗く、目から下の横顔に見覚えは無い。が、綺麗な女だ。

「突然ごめんなさい。でも、どうしても声が聞きたくて。突然会社を辞めてしまわれたから」

誰だこの女!? 

俺が前の会社を辞めたのは一カ月前。新卒だった去年、俺は就職浪人になった。

今年になり、大学時代の先輩の口利きで、なんとか食品会社の企画開発部門に入ることが出来た。しかし、入社二カ月で他の社員とケンカをして、勢いで辞めてしまった。だから、他の社員の顔はほとんど覚えていない。

「私……ずっと、あなたのこと好きだったんですよ。知らなかったでしょ」

知らなかった! なんでもっと早く言ってくれなかったんだ!

実は後悔していたんだ。すぐに別の会社に入ることが出来たが、人付き合いの苦手な俺が、営業へ配属されて、今、心身ともに疲労している。

いや、仕事だけじゃない。前々から、短気で物事を深く考えない性格を直せと、先輩から注意されていた。なのに、無駄に人とぶつかって、条件のいい仕事を失い、可愛がってくれた先輩の顔までつぶしてしまった。

俺は人生をやり直したい。誰かが味方になってくれれば、きっと生まれ変われる! たとえばこの娘とか……。

「お、俺、君のこと知らないから。な、名前教えてくれるかな?」

女が傘をあげて俺の方を向いた。右耳にスマートフォンを当てている。

……あれ? 電話してたの?

「あ、ううん。すみません。何か変な人が声かけてきて。あの、それで……」

青信号に変わった横断歩道を、女が駆け足で渡って行った。逃げるように。

……まぎらわしいんだよ!!

傘を水たまりに叩き付け、大きなため息と共に、憤りを吐き出した。

雨はいつのまにか上がっている。

今夜、先輩に電話をして謝ろう。

そして新しい職場で頑張ろう。

心を新たに前を向き直ると、横断歩道は再び赤信号に変わっていた。

 

-fin-

 

2014.07

『間違えた!』

をテーマに書いたフィクションです。

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