安全地帯
「ああ、しまった!!」
雄作(ゆうさく)はマンションのドアの前で声を上げた。
家の鍵を忘れて出かけていたことに、帰宅した今気が付いたのだ。
夜10時。妻と小学生の娘は今朝、盆の一週間の里帰りで妻の実家に行ったばかり。
新幹線で6時間の場所に、昨日口論をした妻のいる所に、鍵を借りる為だけに行くのは、バツが悪すぎる。
管理会社に合鍵は無い。
鍵開け業者に頼むと金がかかる。
12階建ての8階では上からも下からも侵入は不可能。
妻が帰るまで入れないのは困る。打つ手は無いかと、ドアポストを開けた。
強烈な異臭が雄作を襲った!
死臭? いや、まさか……。
妻と娘は朝まで生きて家に居た。雄作は携帯電話から妻にメールを送った。
送信して5分……10分……。返事は来ない。
電話をかけてみたが、出ない。
雄作は閉ざされたドアを見つめる。
昨夜の口論の原因は、妻が今年からパートを始めた事にあった。
自由な金が出来て浮気でもされたら、と雄作が不安にかられ文句を言ってしまった。
現実は、家事をこなし、娘の将来に備えて貯金し、雄作の昆虫の標本の蒐集癖に理解を示してくれる出来た妻なのに。
電話が鳴った。妻だ!
「もしもし? 雄作さん?」
「今どこにいる!?」雄作は妻の声を聞くや、怒鳴るように呼び掛けた。
「実家よ。……どうしたの、何かあったの!?」
めったにない雄作からの電話に、大事件があったのかと心配しているようだ。
事情を説明すると、
「はあぁ~? 何~? それで心配して電話してきたのぉ!? もうー、しょうがないなあー」
妻の呆れを含んだ笑い声に、雄作は安堵した。
「臭いって玄関の生ごみよ。お盆で今日の収集が無かったから置きっぱなしにしてったの。3日後だから、悪いけど雄作さん出しといてね」
妻の許可を得て鍵開け業者を呼んだ。3万円の出費は俺の小遣いからだろうか。
自室に入った。壁にはカモフラージュの為の昆虫の標本が飾ってある。鍵付きの引き出しを開けると、アクリルケースがあり、その中にはたくさんの女性の左耳が、整然と並んでいた。
よかった。ちゃんと揃っている。
防腐処理はしてあるが、これが腐って見つかったのかと思い、焦ったのだ。
10代の頃から女性を誘っては気に入らなければ殺し、持ち去った戦利品。
最近、幸せだが刺激のない日々が続いている。また狩りに行こうかなあ。
しばし眺めた雄作はケースを仕舞い、風呂の支度をしながら、旅のプランを練り始めた。
fin
2017.08
『「ああ、しまった!」という場面を入れたフィクション』