青く四角い安全装置
三年半前家族で、団地から近くにあった今のマンションに引っ越しをした。
家が広くて綺麗になったのは嬉しかったが、風呂場に窓がない事が、とてもショックだった。
自分が、まだ日の高いうちに入浴し、小さな換気用の窓から青空を見ることをとても楽しみにしていたことを、この時初めて知った。
浴室の広さは、前の団地とほぼ同じでも、窓のあるなしで息苦しさが違うのは何故なのか。通気性には問題ないが、何かあった時に逃げ場がないとでも感じているのか。それとも、外の様子を把握出来ないことが不安なのか。
ずっと前にどこかで、ほとんどの人間は先天的に、高所恐怖症と閉所恐怖症の二つを持ち合わせているものだ、という話を聞いたことがある。
高いところから落ちたら死ぬし、狭い場所に閉じ込められたら息が出来ないとか身動きがとれないとかで、どちらも命の危険があるからだ、という解説だった。
その時は、なるほどその通りだと納得していた。
しかし最近、高層マンションで生まれ育った子供の中に『高所平気症』とでも呼ぶ、高いところにいても恐怖を感じず、そのために大事故に発展するような行動を起こす子が増えている、という話を聞いた。
ということは、高所での恐怖感は、教育の賜物なのだろうか。
実は私にもちょっと覚えがあった。
団地の五階に住んでいた小6の頃。
母の留守中、手の届かない高い竿に掛かっていた洗濯物を取り込もうとして、ベランダの手すりに跨っていたことがある。後で母に自慢げに話して怒られたが、結局3回はやった。
あの頃の私は、約二十メートルの高所が怖くなかった。ちょっとバランスを崩せはどうなるかがわからなかったのだ。
今は人並みに高所が怖く、三畳弱の、窓の無い風呂場が不満な、贅沢人間になった。
生きていると、疲れることがたくさんある。働きすぎたり悩みすぎたり何もしなさすぎたり。
入浴そのものでも疲れはだいぶ取れるが、その上で窓の向こうを見るとその空の青が心の中に流れ込んで来て、一層色んなわだかまりを外に押し出してくれるようだ。
風呂場の窓は私にとって、やかんや土鍋の蓋にある、爆発を防ぐための蒸気の逃げ口と同じなのだろう。
現在は湯船に浸かりながら、給湯器の操作パネルの時計を見つめ、ぞろ目になったら喜んでいる。いつか見晴らしのいいバスルームを手に入れる日を夢見ている私の毎日は、バカバカしいほど平和のようだ。
団地では毎年、三匹は見ていたゴキブリを、ここでは一度も見ていない。おそらく奴らの侵入経路は、風呂場の窓だったのだ。
……だったら窓、無くてもいいかな。
-fin-
2009.01
『好きな色』をテーマに書いたエッセイです。