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思い出は愉快に

私は病院が苦手だ。

非日常の緊張感が怖い。

三十七歳の現在、体調は悪くないが、体の心配していないわけではない。

私は三年前、病院に近づかずに健康状態を知ろうと、自分で血液検査をしたことがある。

 

『血液検査キット』という物がネットで売られているのを、以前テレビで見て興味を持っていた。セットされた道具を使って、自分で採取した血を指定の機関に送ると、検査結果を返送してくれる仕組みの商品だ。

検査の料金はキットの代金に含まれており、男性用、女性用、検査の範囲の違いがある。私は六千円の生活習慣病キットを買った。

 

品物が届いた夜、居間で母がテレビを見ている横で、わくわくしながら箱を開けた。

中身は、血を含ませるための紙、溶液の入った試験管、消毒布、絆創膏。そしてワンタッチで針が飛び出す器具が入っていた。

説明書を読むと、血が出やすいよう、指先をマッサージしろと書いてあった。

中指がいい、ともあった。一番使わない指なのだろうか。

ひとしきりモミモミして、消毒薬を塗り、針の飛び出し口を中指に当てた。途端に胸の奥から『後悔』の感情が湧いてきた。

私は何をしているのだろう。血を出すのだ。傷を付けるのだ。痛いに決まっている。なぜ好き好んで自分を痛めつけるのだ。

己の愚かさにやっと気づき、すさまじい恐怖で涙が出てきた。

横目で見ていた母は、浮かれていた私が、みるみるうちに泣きべそをかきだしたことに爆笑していた。怖いならやめたら? と言われたが、六千円は諦めきれない。

決意して、マッサージして、消毒して、怯えて、泣いて。この一連の動作を延々繰り返して五十分。体力と気力が限界になり、怖がることにも飽きて、針を打った。痛かった。

滲み出た血を紙に吸わせ、試験管に入れて小刻みに横に振ると、溶液が赤く染まってきた。研究者のようなこの作業をやりたいがためにこれを買ったので、ここだけはとても楽しかった。

 

数日後、異常無しという検査結果が送られてきた。採取の過程での過剰なストレスは、カウントされないようだ。

 

三年経った今、あの程度で大騒ぎをしたバカな自分に笑えてくる。

そろそろ健康が気になるので、また血液検査をしようと思う。

問題は私の体調より、懲りない性格かもしれないが。

 

-fin-

2013.05

『笑ったこと』をテーマに書いたエッセイです。

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