日本の夜明け
私は幼稚園ごろから、よく周りの大人に、
「鼻声だね」と、言われてきた。
言葉の意味は分からなかったが、決して褒められているのではないことは、子供心に理解していた。
鼻声とは『鼻にかかったような濁った声』という意味だと、しばらくしてから知った。
自分の声が本当にそうのかは分からなかったが、同級生に言われたりすると、私の声は他人にどのように聞こえているのか、とても気になっていた。
小三ごろ、父親からお古のテープレコーダーを譲ってもらった。
色々な音や声をなんでも録音して遊んでいた。主にドリフターズの『8時だよ全員集合』のコントを録音していた。
そして初めて自分の声を、客観的に聞いた。
あまりの汚さにがくぜんとした。
ショックを受けていると父が、自分の声は普段、頭蓋骨に反響した音を耳で拾っているから、テープの声とは違って聞こえるのは当然だ、と説明してくれた。
しかし、鼻声だと言われ続けてきたことが事実だとわかって、かなり落ち込んだ。
私はボーっとするのが好きだ。好きと言うか、ついボーっとしてしまう。
空を見てボーッ。
動く物をながめてボーッ。
観察はしない。何も考えず、ただ時間だけが通り過ぎていくのだ。
小五のある日、体育の授業中の校庭で、私はいつものようにボーッとしていた。
わらわらと動く同級生たちを見つめていて、あることに気が付いた。
みんな、目と鼻と口がついている。
目は物を見るため。口は食べたりしゃべったり息をするためにある。
じゃあ鼻はなんでついてるの? と、ふと思った。
その時、私は私史上、最大の発見をした。
鼻は息をするためにあるんだ!
息は口でするものだと何故か思い込んでいて、十年ちょっと生きてきて鼻に空気を通したことがなかった。だから声が濁っていたんだ!
その瞬間から、私は鼻で息をするようにした。はじめは苦しかったが、慣れてくるとこちらの方が楽だとわかった。
鼻呼吸をすると、空気が濾過されて体内に入るので、健康によく、脳細胞も活性化されて頭も良くなるらしい。
そのせいか、今まで無意識をさまよっていた『ボーッ』が、考えを自覚してコントロール出来る、覚醒した『ボーッに』変化していった。
最近のニュースで、口を開けっぱなしでいる人が、老若男女を問わず増えていると聞いた。
たぶんその人たちも、かつての私と同じ、鼻が呼吸するための道具だということを知らないのだ。
日本は教育改革とかよりも先に、鼻呼吸について国を挙げて教えるべきだ。
私のボーッの進歩については、残念ながら私以外の人間には知るすべは無いが、少なくとも、鼻声だと言われることは無くなった。それは事実だ。
-fin-
2008.10
『思い込みの失敗』をテーマに書いたエッセイです。