目覚める奇跡
6月の頭に風邪を引いた。
のどが痛むなあと思っていたら、翌日にはつばを飲み込むのも辛いほど、扁桃腺が腫れ上がった。
鼻が詰まって物の味がわかりにくくなり、堰が止まらず何日も睡眠を邪魔された。久しぶりに、病気で辛いという経験をした。
仕事場でマスクをしてせき込んでいると、みんなが心配してくれ、早引けさせてもらったりした。
人は一人で生きているのでない事を、歳を重ねるごとに感じている。
人体がそもそもそうだ。脳みそがどんなに優秀でも、脳みそだけでは生きられない。丈夫な心臓だけあっても、何にもならない。
すべての器官は連動してひとつの生命を成している。そんな当然のことを、普段の私は気にも留めないでいる。
今の科学技術では、ゼロから人間を作ることは不可能だそうだ。
首を寝違えた時も、姿勢を変えるたびに引きつり、痛みが走った。
ひとつの動作のために、全身の筋肉が駆動し、多少の不調なら治せるシステムも備えている。
防御本能は、辛い出来事すら記憶から消すことも出来るという。
神の創った超精密機械を持ちながら、平和な日本で生まれ育った三十四年間。活発ではないうえに大きな怪我もせず、身体機能に鈍感な人生を送ってきたかもしれない。もったいない事だ。
でも、そんな私にも、全ての機能をフル稼働させた瞬間があった。
何年も前の、暑く寝苦しい夜。 真っ暗闇の中で、布団の上で横を向いたりうつ伏せになったり、ゴロゴロとポジションを変えていた。
やっと仰向けに落ち着き、眠りに入ろうとした矢先、唇の右端に何かが触れた。
ゴキブリだ。
私の脳裏に、大っっっ嫌いなゴキブリが私の顔をよじ登り、トゲのついた足を下唇に「よっこいしょ」とかける映像がよぎったのだ。
どんなにすさまじい寝坊をしても、かつてこれほどではなかったスピードで、私は布団から飛び起きた。
電気を点けると同時にティッシュペーパーの箱を持って構え、布団の上に奴の姿が無いことを見て取ると、忍者のように全神経を部屋中に配った。
ここまで五秒とかかっていない
臨戦態勢で小一時間。隠れている敵を探し回った。しかし、あのおぞましい生き物の姿は無かった。
部屋の戸も網戸も閉まっているので、外へ出たとも考えにくい。
リアルな夢を見ていたのだろうか。
真面目にそう考えはじめ、緊張の糸も緩んできたので、寝ようと布団を整えた。すると、枕の側に、ゴキブリの足が一本落ちているのを見つけた。
私というあらゆる奇跡のかたまりは、一瞬の触感から正しい答えを導き出していたのだ。 結局そのゴキブリは見つからなかった。網戸の隙間から逃げたのだと、思うことにしている。
いくらミラクルな私でも、何かを飲み込んだ喉の触感が削除されているなんてことは、ないはずだ……。
-fin-
2010.07
『忘れられない触感』をテーマに書いたエッセイです。