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往にし方の記憶

(いにしえのきおく)

生まれ育った場所のことを考えると、私はちょっと複雑な気持ちになる。

国土交通省による出身地の定義は『15歳未満の間に一番長く住んだ土地』

と、いうものらしい。

そうなると、私の出身地は、9歳から33歳の今まで住む奈良県となる。

しかしこの時、私の中ではもうひとつの地名が浮かぶ。

 

私は東京都足立区の竹の塚(たけのつか)にある、竹の塚病院で生まれた。

実際に住んでいたところは、隣にある『伊興(いこう)』という町だが、子供の頃、親から聞いた『竹の塚』の響きが気に入り、ここを出身地だとずっと思っている。

かぐや姫でも隠れていそうな幻想的な土地を想像するが、親は

「何にもない田舎だったよ」

という。

2歳までしかいなかった私には、竹の塚に関する記憶が全く無い。なのに、記憶のある幼稚園に通った名古屋や、小1から小3まで過ごした横浜ではなく、なぜか竹の塚を故郷のように思っている。

たまにテレビのニュース番組で竹の塚の映像が流れるが、当然そこは私の知らない町だ。一度は行きたいと思うのだが、行って何を懐かしむわけでもない。

東京は遠い。何かが無ければ行くことは無い。

5年前、父方の祖母が亡くなった。

祖母が住む埼玉の越谷(こしがや)まで、家族四人で車で向かった。

お葬式の翌日、母と妹と私の3人で、六本木ヒルズを観光した後、ディズニーランドへ行き、一泊二日を遊び倒した。

埼玉のすぐ南にある竹の塚に行ける最大のチャンスを、私はみすみす見逃した。違う方面で満喫してしまった。

竹の塚を離れて30年。ただ産まれたというだけの場所とは、もう縁は切れているのだと思った。

去年、本籍地を東京から奈良へ移す決心をした。戸籍謄本などの書類を揃え、いざ提出、という時、私の中から叫び声が聞こえた。

イヤだ! 消さないで!

私が生まれた場所との唯一のつながりを、簡単に切り捨てないで!

初めて出てきた心の声。

竹の塚に固執してきた大元。

おそらくそれは、2歳の私の思いだ。

言葉をしゃべれず、記憶にも残らない二歳の私が唯一出来た、感情の足跡だったのだ。

先月、運転免許証の更新をした。

新しい免許証は、ICチップが内蔵されているとかで、少し分厚くなっていた。そして、今まで伊興の住所で埋められていた本籍地の欄が、空白になった。個人情報保護のため、データ記載のみになったらしい。

私が隠れていた本心に気が付いたとたん、出生地の表示が消えた。

まるで、今までが気付かせるためだけにあったかのように。

 

子供の頃、ケガをするとその傷口を、親や大人に見せて回っていた。

とても痛いケガをしているんだ、と、ただ知ってもらいたかった。

そんな子供が、今も私の中にいる。

 

-fin-

2010.07

『生まれ育った土地』をテーマに書いたエッセイです。

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