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北方暗号 (Northern Code)

私は今年、四十歳になった。

頭の中は、お菓子と漫画が好きな子供のままだが、傍から見ればきちんと歳は取っている。そして歳を取れば取る程、自分が物知らずだと気が付く。

現在私は奈良県に住み、スーパーで働いている。ある時、七十代後半と思しき女性客に声をかけられた。

「お姉ちゃん。スズコないか?」

すずこ? 声をかけられたのは、魚売り場の前だったので、スズキという魚のことを言っているのだと思い、

「スズキですか?」と聞いた。

「スズコ。今日はないか?」

そのお客さんの持っている買い物メモにも、カタカナで『スズコ』とある。

私の父は東京生まれ。母は佐賀。私自身東京で生まれ、父の転勤で9歳で奈良に来た。三十年以上奈良にいるが、奈良文化が根っこに無いので、未だに奈良弁は話せず中途半端な関東弁だ。

こちらでの何かの別名なのだろうと思い、魚の担当者に聞きに行った。

調理場のドアを開け、大声で、

「すいませーん。スズコって無いですか……」と言いかけて、はっとした。

スジコだ! 筋子(すじこ)のことだ。東北の訛りっぽいが、筋子のイクラのことを言っているのだと、天啓を受けたかのようにわかった。

「筋子無いですか?」と聞きなおし、

「今日は無いです」と言われたので、私はお客さんに「イクラは無いです」と伝えた。

「そうか」と、お客さんは納得して帰っていった。

家に帰ってネットで調べてみた。案の定、秋田辺りで『筋子』を「すずこ」と発音するそうだ。『筋(すじ)』ではなく、『鈴生(すずな)りの卵』の意味の『鈴子(すずこ)』ではないかという説もあるらしい。

私は、自分に故郷(ふるさと)が無い為、余計に方言というものが好きだ。特に東北の訛りがテレビから聞こえてくると、ついアクセントを口真似をしてしまう。

『きび餅(もち)』は『ちぅぃびもち』になり『秋田』は『あっくた』になるようだ。

秋田県出身の俳優の柳葉敏郎(やなぎとしろう)さんは訛りがあるので、この人が喋る度に私はブツブツと真似をしている。

真似るだけで全く話せないが、その地味な遊びが実を結んだのだろうか。大声で話した途端に解読できた。

声に出すというのは大事なことだな、と思った日だった。

 

-fin-

2016.03

『声をかけた・かけられた』をテーマに書いたエッセイです。

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