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究極の選択

35歳で両親と暮らす私が、6畳間をもらいながら不満を言えた立場にないのは重々承知しているが、部屋が狭い。

悪いのは私だ。

幅60センチで本が前後に二列入る本棚がひとつ。

奥行きはそれの半分で幅90センチの本棚がふたつ。

この三つが、北側の壁にそびえ立っている。

その他に小さい文机(ふづくえ)とテレビ。この谷間に私は布団を敷いて寝ている。

長年コツコツと溜め込んできた600冊以上の本。9割は漫画だ。

人生の師であり友である本たちを、読み捨てることは私には出来ない。本棚に収まりきらない友たちは、その弱みにつけこんで、主(あるじ)である私を圧迫し続けていた。

快適な部屋と漫画読みたい欲は両立しないため、これまでは耐えるしかなかった。

私がボーッとしているうちに、電子書籍というものが世に出現していたが、別段興味がなかった。

本は紙! と決めつけ、馴染んだ感触を手放すことを正直恐れていたのだが、私の両立しない願望を叶える手段はこれしかない。

今持っている本を、パソコンや携帯型の端末で読めるよう、電子化の方法を調べた。

ネットで探すと、安価で電子化してくれる業者があった。だが、数百冊ともなればかなりの金額になる。

自分ですれば安く上がるが手間がかかるし、なにより、大事な本を分解しなければいけないのが辛い。しかし他に手はない。

私は決断した。手始めに、漫画『美味しんぼ』の表紙と本文を泣く泣く引き剥がし、端をハサミで整える。

持っていた複合機のスキャナで取り込むと無事パソコンで読めたが、一冊まるまるスキャンするのに2時間かかった。これでは寿命のほうが尽きてしまう。

ネットで評判の良い、4万円弱の高速スキャナを購入し、同時に1万円の裁断機も買った。予定外の出費だったが切り後がきれいで、スキャンも1冊10分とかからなくなった。

電子化への目処が立ったので、iPad(アイパッド)2を買うことに決めた。画面が大きいので、紙の本と同じ感覚で楽しめそうだからだ。

60800円の物を、翌日に注文しよう! 

とわくわくしていると、携帯電話の画面が映らなくなった。

携帯電話は仕事に必要なため、買い替えなくてはいけない。iPad(アイパッド)での読書を想定して電子化を進めていたが、金銭的に両方の購入は無理だ。

小さい画面がイヤで、スマートフォンというものは選択肢に入れなかったが、それにせざるをえなくなった。

 

52000円を出して、スマートフォンを買った。スマホと略すそうだ。

まさか自分がこれを手にするとは思っていなかった。

『使いにくい』『利用料金が跳ね上がる』『電磁波が強烈』

などの悪い噂を聞いていた為だ。

とはいえ、新品の電化製品は好きなので、家電量販店で買った帰り、わくわくして、家まで待ち切れずに、途中のバス停で箱を何度も開けて取り出して触っていた。

​家に着き、改めてスマホを触ってみた。

一面のほとんどを液晶画面が占め、下部にボタンが三つ並んでいる。

真ん中のボタンを押すと、真っ暗だった画面に時刻と日付が表示された。そしてすぐ暗い画面に戻った。

スマホは画面を直接触って操作するタッチパネルというものだが、何度ボタンを押し、時計が出たところで画面に触れても、またすぐに暗くなってしまう。

説明書を読んだが、それ以降の操作の方法しか書かれておらず、私は出だしでつまずいてしまった。何十回も同じ行動を繰り返し、ふと時計以外の表示を見た。南京錠のようなマークが画面の下にあったので、指で触ってみるとマークが動いた。そのマークを指でさわったまま右側にずらすと、初めて説明書にある最初の画面になった。

何かが画面やボタンに触れて誤作動しないように、ロックがかかっていたのだ。

家に帰ってから3時間が経った頃だった。  

ロックは解除したものの、どこをどう触ればどうなるのか何もわからない。

今まで携帯電話で使っていたメールも、自力で設定しなければ使えない。

いつ仕事のメールが届くかわからず、説明書だけでは理解しきれないので、ネットで調べ、なんとか使えるようにした。

その日はロックとメールで力尽きた。

翌日からも悪戦苦闘の連続だった。

スマホは携帯電話より大きく薄いため、手からすり抜けて落としてしまった。ここで壊しては泣くに泣けないと、指に引っ掛けるストラップをネットで購入した。送料込みで1600円だった。

アドレス帳の整理をした時、指の感覚とスマホ側の認識がずれ、間違って電話をかけてしまったりもした。

スマホで本を読むには、それ用のアプリをダウンロードしなければならず、それはネットに接続して、アプリを探すところから始めなくてはいけない。

通信費を安く抑えるために、自宅の回線を使おうとしたが、その設定にも手こずった。

やらなければいけないことがありすぎて、当初の目的の電子書籍を読むどころではなかった。

買った事を、買ってすぐ後悔したスマホだが、一週間もすると基本的な操作は出来るようになった。

読書用のアプリを入れ、パソコンに保存していた本のデータを入れると、まさに思い描いていた形で読むことが出来た。

布団の中で読む時の快適さが違う。

紙の本は眠くなると、部屋の灯りを消しに布団から出なくてはいけないが、スマホなら画面が元々明るく、睡魔が襲えば読むのをやめればいいだけだ。

ただし、湯船に浸かって読むことは出来ない。

世間では、食品保存用のジッパー付きのビニール袋が、iPadやゲーム機を中に入れ、風呂場に持ちこんで遊ぶために売れているそうだが、私はまだ挑戦していない。

楽しくなると電子化の作業は益々はかどる。『キン肉マン』や『YAWARA!』を全巻電子化した。

さらに、近所やネットの古本の店で、今まで置き場所が無くて我慢していた本を、買い足したりもした。

これまでは、著者に印税が行くようなるべく新品の本を買い、古本は絶版になった時の最終手段として利用していた。だが今はどうせバラすことを思うと正規の値段では買いづらい。

本来は最初から電子書籍を買うのが筋なのだろう。

売り手とすれば精一杯の安価なのだろうが、今の私は新品の本とそう変わらない値段で、本の形や重みや面白みのないデータの本を買うことに抵抗がある。

価格が折り合ったとしても、販売している会社によって、対応アプリが違うため、その管理も煩わしい。スマホの容量も取る。

そもそも、私が欲しい電子書籍がどこで売っているかがわかりにくい。

有名どころではない、絶版になった漫画は、古本でも探せないものも多い。

積極的に電子書籍にしてもらいたいのにまだ無いのは、なんかの巨大で邪悪な組織が邪魔をしているからだろうか。

それとも、マイナーな本を欲しがる矮小な人間の存在に気付いていないだけか。

後者のような気がする。

スマホを買って半年近くになる。すっかり手放せないおもちゃになったが、肝心の部屋の様子は、電子化を始める前とそう変わっていない。

むしろ、減った端から本を増やしたり、明日バラそう! と思って本棚から出した本を、床に積み上げたまま作業に飽きて、ここ2カ月放置しているため、カオス状態が増した感さえある。

「終わるのか?」とそびえ立つ本棚を前に、何度も自分につぶやいている。

-fin-

2013.11

『【置き言葉】長く過ごした場所・環境から出る、長く使った物を捨てる、手放す。

そんな時、誰かに、あるいは物に対して残す言葉・伝えたい言葉』

これをテーマに書いた3回分のエッセイです。

2016.5現在、1500冊の電子化終了。まだまだ作業は終わっていません……。

2017.4現在、電子化完了!1890冊。でもこれからまだまだ増えます。

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